こんな私がなぜトレーナーに??
エクササイズトレーナーというと、一様に運動神経抜群の体育大好きだったでしょう、というイメージを持たれます。
しかし私は真逆です。
体育苦手
球技はからっきしだめ
エクササイズはめんどくさい。。
そんな私がなぜにトレーナーに??
そんなお話をしたいと思います。
新井孝子物語①
虚弱だった幼少期
幼少期より身体は虚弱、喘息にアレルギーに悩まされ決して運動も得意ではありませんでした。
屋外スポーツ大好きの小麦色の家族の中で私一人だけがアトピーで日光苦手だし、球技はからっきしダメなひ弱な子供でした。
健康そのものの母は喘息発作で苦しむ私には気のせい気のせい!と甘やかしてはくれず。。
水泳部にぶち込みました。
(苦しくて泣きそうでした)
決して楽しくなかったプールも続けるうちに喘息は改善しほとんど発作を起こさなくなり、
あれ?プールやったら身体が楽になった!
そんな運動と健康との関係を幼くして実感した小学生時代。
タイムもそんなに良くなかったし泳ぎも決して見本になるような綺麗なフォームではなかったけれど、
基礎体力づくりの大切さは虚弱な子にとっては強烈に印象づけられた体感でした。
なが〜い時を経て、今では関節疾患に苦しむ方や低体力シニアの皆様に水中トレーニングクラス(アクアエクササイズ)も提供しています。
水はいいぞ〜〜!!!
バレエに夢中な小学時代
小学1年生の頃子供向けのバレリーナのドラマがありました。
その綺麗な踊りと衣装、トウシューズに憧れ、母にバレエ教室に通いたいと何度も何度もお願いをしました。
しかしながら母は
『どうせ流行に乗ってやりたいだけだからすぐに飽きるよ。2年経ってもやりたかったら習わせてあげる』
と約束。
で私は2年も待って小学3年生でようやくバレエ教室に通うことが叶いました。
待った分だけそれはそれは嬉しくて嬉しくて夢中で練習に励みました。
頭の中の95パーセントはバレエだった時代。
好きこそ物の上手なれ。。かな。
3歳くらいから習っている子たちの中で
出遅れ感を取り戻すように先生の指導は全て聞き逃すまい!
身につけようと一生懸命でした。
同世代のお友達の中ではぐんぐん上達をしました。
そこで学んだことは 何回も回れるとか高く足が上がるとかよりも地味な基礎的なことの積み重ねがいかに大切であるのか。
体育は大嫌いでも踊るための基礎固めには注力しました。
どんなスポーツでも勉強でも天才的感性を持っていない凡人には基礎固めがやっぱり大事!
燃え尽きた中学時代
しかしながらあまりにもバレエに没頭しすぎた私は中学の頃には燃え尽き症候群状態(若すぎる〜〜笑)
突然 踊りたくない病に。。
今、トレーナーという仕事について改めてこの時のことを思い起こすと若すぎる燃え尽き症候群は成長期における精神の発達と身体の発達、体力不足の不調和が絡み合った結果によるものだったと分析しています。
燃えつき症候群からしばらくの間は運動らしき運動もせず丸まるぽっちゃりとした高校短大時代を過ごしました。
スキル、体力ともに最も伸びるティーンエイジ後半をダラダラと過ごした事がかなりもったいないと思いますが。。
それによって学んだことも大きい。
心、身体、休養、食事、睡眠、環境
続けるためにはバランス感覚がとても大事!
帰宅部からの~
私はずっと帰宅部。元気に動き回る友達を横目に運動とは縁のない生活を。
短大で初めて遊び半分で卓球部に入部(だって日光苦手なんだもん)
初の運動部!温泉卓球程度楽しみました(笑)
子供時代、学生時代のわたしを知っている友人は、体育苦手で目立つこともない地味な私が運動という分野の仕事につきグループクラスではリードを取るインストラクター・パーソナルトレーナーもしているとは想像もできないことだと思います。
燃え尽き症候群から少し抜け出しなんちゃって卓球部を経て、社会人になってから始めたジャズダンスにハマり、昼はOL 夜はダンスという生活。
フラッシュダンスにハイレグレオタードの時代です!
やっぱり踊ることが心から好きなんだなあ、と再認識。
バブル期のなんだか良くわからない時代とにかくほとんど毎日踊ってました。
ジャズダンスにはバレエの基礎が必須です。
バレエでは燃え尽きたとはいえ身体にはちゃんと基礎的な感覚が残っていたおかげで、ソバージュ・ハイレグでガンガン弾けました。
今見ると、恥ずかしい写真の数々。。
練習量は若い頃と違い主婦の趣味レベルなので激減していますが、今もずっと続けています。
常に何らかの形で踊っていることを考えるとダンスは私にとって趣味というよりは精神安定剤的な位置付けです。
体育という運動は嫌いでもこうやってずっと動いています。